■ 『みきもとこうきちのうまれたまち とば』2008.12.20

 鳥羽といえば水族館以外にも『真珠島 御木本幸吉』として有名な観光地だが、今年2008年は御木本幸吉生誕150年にあたり、このようなゆかりの地を紹介したパンフレットも完成した次第だ。中身はとても簡潔にまとめられていて、漢字もすべて読み仮名が付き、子供でも容易に理解できるよう作られた、、、といいたいところだが、【鎮座】だとか【廟所】なんかに読み仮名が付いてても、私には上手く説明が出来ない。
 ま、それはさておき、意外と知られていない『ミキモト真珠島』の元の名前。このパンフレットでは『相島(オジマ)』と紹介されている。他には鳥羽街道や焼飯坂、相橋(アイバシ)などの位置がパンフレットの地図に落とし込まれているが、こちらは説明不足。
 私は鳥羽で数年生活したこともあり、かなりの場所を徒歩で制覇したつもりだったが、ほとんど地名の由来などには疑問も抱かずにノホホンと過ごした。今ほどネットが普及していたら興味も沸いたのかも知れないなんて思いながら、「ああ、あれが相橋だったんだな〜〜」なんて今頃感心しても遅いか。ちなみに相橋(アイバシ)は、このパンフレットによれば今の鳥羽小学校が鳥羽城だった頃、堀の一部だった妙慶川を渡って城に入る玄関口だったらしい。今でも護岸には城の堀の石垣が一部残っている、とある。またこの川より北側を伊勢国、南側を志摩国とし、両国が相逢う場所であることから名付けられたとされている、と記載されている。簡単なパンフレットながらとても為になった。

さてこちらも余談だが、御木本幸吉は志摩の賢島近くにある【多徳島(タトクジマ)】に工場と別荘をつくり、後年優雅な生活を送ったという言い伝え(?)がある。御木本幸吉氏の若返りの秘法…。それはいいとして、この多徳島に関しては以下のホームページの記事を参照されたい。↓
http://homepage3.nifty.com/y-iwata/shima/tatokujima.htm
ここの記載によれば、多徳島は広さ約4ha。2003年には阿児町活性化のためにこの島の整備案が出ているらしい。


 他、鳥羽界隈に関しては商工会がホームページを開いているので、こちらも合わせて下調べをすれば面白いかもしれない。焼飯坂の云われや池上の首切り地蔵など面白い話が出ている。私の稚拙なホームページで又聞きするより、是非ネットサーフィンで情報をつかんで欲しい。↓
http://www.toba.or.jp/nohohon/nohohon.htm
この中でも、船を○○丸と呼ぶようになった謂れ等、面白い記事が目を引く。

当パンフレットは鳥羽市発行。鳥羽市役所に置いてある。







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